断捨離

2019年1月26日 0 投稿者: terakoya

2018/1/31

  私はモノが捨てられないタイプの人間だが、断捨離というのには余り興味がなかったので、その手の本などももちろん読んでいない(収納術について検索したりすることはあるが)。
  先日、断捨離魔の話を人から聞いていたのだが、その人は職場に履いていったおニューの靴を嫌いな上司にダメ出しされたので、1回履いただけで捨ててしまったという。大した値段でもないし、その靴を見る度にそのことを思い出して腹を立てるくらいなら捨ててしまったほうがマシ、ということらしいのである。
  その話を聞いて、私は断捨離というものが本質的にどういうものであるのかということと、同時に自分がどうしてモノを捨てられないのかということが分かった気がした。彼らはモノを捨てることを通して、記憶や感情をも捨てているのだ。嫌な思いを喚起するものを捨てることを通して、逆に自分の環境を自分にとって良いものだけで構成する、ということでもあるのだろう。
  なるほど面白い。それを意識的に行うことでメンタルをコントロールできることもあるだろうし、あるいは無意識にそれができる先天性サバサバメンタルの人もいるだろう。
  私のような人間の場合は、全て人生の資料のような気がして捨てられず、全部抱えて生きているということになる。それでも最近は、少しずつモノを減らそうと努力している。モノを捨てるということの象徴的な意味合いを考えると、この考えの変化も別の意味を帯びてくるような気がするが、そのことに深いりするのは今度にするとして…
  しかし、私はエコに関心があるので、モノをただ捨てるのは嫌いである。できればリユースやリサイクルしたい。これも所謂MOTTAINAIという単純な動機だけではなくて、自分の(少なくとも一度は)気に入って手元に置いていたモノを正当な理由なくゴミにするのが嫌だという心理が働いている気がする。
  人間にとって「ゴミ」とは何なのか?単純に「自分にとって必要なくなったもの」あるいは「必要なものの残りカス」、「どうなろうが知ったこっちゃないもの」以上の。MOTTAINAIを日本のアニミズムとか九十九神信仰から解釈するのも面白い(脱線になるが、日本語の「いただきます」に相当する英語がないのはどういうことか?キリスト教徒は食物を与え賜うた神に感謝し(ほかの宗教はよく知らん)、日本人は食物自体に感謝する、という違いも似たような意味で面白い)。
  断捨離には「即座に」「情け容赦なく」「視界から消し去る」ということが肝要だと思う。すると、ゴミにするのが適切だ。一口に処分するといっても、捨てるのは楽なのに対し、売ったりあげたりリサイクルするのは時間も手間もかかる。そこらへんが多分エコの分かれ道だし、捨てる当人の負担を増やさずにゴミや不要品の最終処分を最適化できる仕組みができれば良いけれど…
  と、こうして私の思考はまたとっ散らかって行くのであった。