不正受給ぐるぐる考

2019年1月24日 0 投稿者: terakoya

2018/2/12

  今日誰かが生活保護の話をしているのを聞くでもなく聞いていた。もっぱら不正受給についての批判だったが。
  私はいつも、不正や悪行をする奴はどこの世界にもいると思っている。それは何かの事情があってのことかもしれないし、単に頭がアレなのかもしれない。でも、まぁ現にいるんだから仕様がない。それで、対策の方向性としては、「締め出す」か「織り込む」かのどちらかになると思う。もちろん「不正は良くない」ということを前提としてだけど。
  ところで、誰かと「学校にナイフを持ってきていいのか」という話をしたことがあった。田舎の昔話なので、リンゴ剥いたり、まぁ色々用事があってナイフを持ち歩いていたのだが、ある日突然持ってくるなと言われたらしい。その時の論点は、放っておいても痛い思いをすれば子供は勝手に扱い方を学ぶし、他人に使ったらどうなるかも自ずと理解するという所だった。
  で、さきほどの話に戻るけれども、学校としては「何かあってからでは遅い」ということなんだろうが、その「絶対に事件・事故を起こさせない」みたいなやり方って、どこまで正解なんだろうと思うわけである。確かにその努力は大切なんだが、どこか別の視点で、「いや不正も事件も事故も起こるんだよ」という考え方も必要なんじゃないかと思うのだ。(例えば悪ガキを学校から排除しても、自分ところの学校が平和になっただけで、結局抑圧された人って同様の人と集まって力を増すから、より広い視点で見ればむしろ問題を大きくしてるかもしれないわけだし。あるいは逆に、例えば社会的必要悪という舞台裏の「ゆらぎ」「あそび」の部分も織り込んだ社会でなければ、というかそれらが表舞台で行われてしまっては、社会はあまりに硬直的なものになってしまうと思う。たとえそれが許されない種類のものであったとしても、許されないものとして存在していなければならないというか。人間はまだ幸せや善を定義できるほど賢くないんだから、常にオルタナティブがあって拮抗していなければ駄目になるんだと思う。)
  あー何かまどろっこしいな。つまり、生活保護の不正受給について、イラッとする気持ちも、「ズルい!」と思う気持ちも、社会正義もわかるけど、必要以上にかかずらうのはどうかな、と思うわけだ。社会的損失という意味でも、個人の精神衛生においても。不正受給の罰則を死刑にしたって、やるやつはやるのだ。何が問題なのか?どうすべきか?というのをもう少し建設的に考えようや、と。
  まず、不正受給者が批難されるけど、それは正味、行政の責任だよね?でも行政の視点に立った場合、不正受給者とそうでない人の峻別って至難の業だよね?「不正受給をなくす」ということと「必要としている人に正しく受給させる」ということは似てるけど別の事柄だし方策も自ずと異なるよね?水際で弾かれて困ってる人が沢山いるという話だけど、それって単に不正受給者のせいってわけじゃないよね(部分的には正しいだろうけど)?たぶん総受給者が減っても、予算の問題とかで水際の制限が厳しいのはそんなに変わらないよね?また、たとえば不正受給のメリットを無くすことを考えて、(働きたいけど雇ってもらえないという言い訳をなくすために)刑務所まがいの半強制労働みたいのをさせるべきか?自分の金をどう使おうが自由だけど、それは本当に「自分の金」と呼べる代物なのか?本当に体が悪くてメンタル病んで酒やギャンブル漬けのやつはどう考えるべき?自分のせいでアル中になって状態悪くて本当に働けないやつは?前科があって誰にも雇ってもらえないやつは?真面目に自立しようとしてたけどバカらしくなって就職活動のフリだけしてるやつは?医療費も行政から出て取りっぱぐれがないから病院も潤ってる蜜月なんだよね?じゃあ借金制にするか?社会奉仕をさせるか?精神鑑定必須にして更生プログラムでも用意する?それとも合法薬物やギャンブルを社会的に排除するのが先か?セーフティネットって、福祉って、人権って、なんだっけ?お金や社会保障って労働の対価でしかないんだっけ?何かっていうと保障が求められるけど、我々は大きな政府を本当に望んでいる?
  あるいは、人間にとって働くことって何?社会的責任って?自立って?最低限度の生活って?理想的な生活って?幸せって?
  …と、ちょっと考えただけで構造的な問題から哲学的な問いまで、考えられる視点が死ぬほどあるし、ソッコーで迷子になるわけだけど。でも、こういうことを真面目に考えていかないといけないと思うのだ。(もう一つ考えるべきことがあるとすれば、こういうことを真面目に考えることができない、あるいはダサい・ウザいと思う原因は何か?ということかな…あ、それと分かりやすい「悪者」を批判して満足しちゃう思考の出処とね)